墓じまい

先週、墓じまいに田舎まで行ってきた。

父にしてみれば、長年の懸案事項であったと思う。

元々、墓じまいをすることはある程度想定していたものの、自分が生存中にするものでないと予定していただけに、いざ墓じまいの話が出てきて以降は、父自身、高齢ながらかなりの労力を要したようだ。

叔母とのやりとり、改葬許可といった役所への手続き等、色々と大変だったようだ。
自分が動けない分、私が代わって墓じまいの場に行くため、色々な資料を作ったり説明したり・・・、実家に変える度、半年以上この話ばかりだった。

ただ行くだけの私が結構疲れたのだから、父にしてみれば相当なものだったのだろう。
実家に帰って、墓じまいの報告をしたが、本当にホッとした様子だった。
ある意味、自分の若いころからの懸案事項だったのだから・・・

これであまりホッとされ過ぎても困るのだが・・・
少し気楽な気持ちで暮らして頂ければと思う。

ところで、この墓じまい・・・
以前は聞いたこともない言葉だったように思う。
やはり、社会環境の変化なのだろう。
核家族化の進展、単身化、女性の社会進出・・・まあ色々要因はあるのだろうが、要は、墓や家を守る人がいなくなったということなのだろう。

今回の墓じまいも、結局は家を継いだ叔父夫婦、またその子供夫婦に、遠方にある墓を守るだけの自信がなかったのだろう。
私にしてもそうだ、実際うちの両親にも数十年まえに借りた墓(市営墓地)がある。いずれそこに眠ることになるのだろうが、その墓は一体誰が守っていくのだろうか。私には妻子はないため、私が死んだ時点で、そこは無縁仏になってしまう。
共同墓地に埋葬されるということなのだろうか・・・

因みに、今回墓じまいした墓に眠っていた祖父母、叔父、自分の兄らは永代供養ということになった。
少し寂しい気もするが・・・、まあ、そういう手続きを取れる親族がいる間に、出来たことはよかったことなのかもしない。

私の場合はどうなるのだろうか・・・
勿論、親、そして親の墓の面倒は私が生きている間はしていくつもりだが・・・
流石に自分が死んだ場合は・・・

まあ、死んでしまえば、そんな心配はする必要ないのだが、親の墓を無縁仏にはしたくないという思いはある。

この先、こういった問題は多々出てくるのだろう。
孤立化が進むこの社会で、「死」というものに対し、行政そして社会はどう対応していくのだろうか・・

死ぬにしても、安心して死んでいける、社会であってほしいものだ。

2019年9月15日

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